心の強さは、ヴァルネラビリティを受け入れる勇気にある

心の強さは、ヴァルネラビリティを受け入れる勇気にある

あなたは人に弱さを見せられるでしょうか?
あなたは自分の弱さを認められるでしょうか?

人は弱さを必ず持っています。弱さを認めることは非常に勇気がいることです。私達は強くなければならないとか、間違ってはいけないという気持ちが働きやすく、するとどうしても弱さを認めるのが難しくなっています。弱さを避けようとするのは人間の性質なのでしょう。

しかし、脆さや傷つく可能性のある状態を認めた上で、向き合えるか否かが、その人の勇気につながります。さらに傷つきやすい自分の生身をさらせるかどうかは、人とのつながりを示す指標にもなり得るでしょう。

この、脆さや傷づく可能性のある状態のことを「ヴァルネラビリティ」(vulnerability)と言います。

人の心に響くのは、ありのままの姿

先日ヴァルネラビリティについてスタンフォード大学のスティーブン・マーフィ重松先生のお話を伺う機会がありました。重松先生は、スタンフォード大学で学生向けにマインドフルネスの授業を開催しており、書籍化もされています。またインドでヨガの修行もされた方です。

重松先生はスタンフォード大学の初回の授業に、着物を着用して日本語で講義を行います。お母様が日本人なので、ルーツが日本にもあることが関連しているようです。当然スーツ姿の教授が英語で講義をすると想定していた学生は慌て、居心地の悪さを感じます。

なぜ、着物で講義をするのか。その理由について、こんなお話しをしてくれました。

着物は本当の自分の象徴でもあることを私は説明したかった。

私が包み隠さず、そのままの自分を教室に持ち込むつもりであることを見せ、同時に、学生たちにも同じことを期待したい、という思いを表したのである。

教員のこうした態度はわりと珍しいことで、周りの教授たちに聴くと、彼らは「ドアのところで自分自身はおいていく」という。

深い思いを大学の講義で伝え、かつ一人の人間として、真摯に生徒と向き合うその姿に筆者は圧倒され、気がつくと涙が溢れ出ていました。

自分を生きると、他とつながれる

更にマインドフルネス、そしてヴァルネラビリティの重要性について、重松先生は次のように指摘します。

彼ら(学生)に自分の弱さを知る体験をしてほしい、と思っている。

そうした体験は生涯を通じて内省を行う謙虚さを育てるので、有限の知識に精通すること以上に、教育にとって重要だと信じているからだ。マインドフルネスが意味と思いやりを持って生きる力の源だと信じるからだ。

マインドフルであるということは、自己と他者を理解し受け入れること、感謝を抱いて繋がりを感じること、欠けたところのない全体となることなのだ。

不確かさ、あいまいさ、複雑さ、リスクを迎え入れ、自分の弱さを認識し受け入れる方法を学ぶことが、弱さを勇気へと変容させる鍵ということだ。

マインドフルになってペースを落として呼吸することができれば、自分が何を、なぜ感じているのかがもっと分かるようになり、自分らしさや自分の信念を反映する選択ができるようになる。

恐れを受容することの大切さ

このお話を聞いたとき、筆者自身がサットサンガに初めて参加したときのことを思い出しました。

サットサンガは、インドのアシュラムでは毎晩開かれているもので、サット(純粋なもの)サンガ(集まり、同席)を意味します。インドでは若い修行僧の聖典ギータの詠唱の後、皆で様々なキールタンを歌い、スワミのお話をうかがって、最後はマントラを唱えて終わるのだそうです。様々な形態があり、集まった一人ひとりが参加した意図などをシェアする場面もあります。

筆者が初めて参加したサットサンガは、友永ヨーガ学院の指導者養成コースに参加している生徒が友永淳子先生を囲んで行ったものでした。一人ひとりが指導者養成コースを振り返ること、それに伴う個人的な体験を語り合うことが主な目的です。蝋燭の火を囲んで、20人ほどが円座になって座り、かなり神秘的な雰囲気で進んでいきました。

ご自分の病気について率直に語られる方、師への感謝を話される方、感激のあまり涙を流される方……など、あらゆる体験がシェアされました。

さて、筆者の番になったとき、当時はその感情を自覚できませんでしたが、自分をさらけ出す恐れを確かに感じていました。しかし、当時は、その恐れを見ないように気づかないふりをしていたのです。

その恐れから、あろうことか医師としての指導者養成コースへの意見や批判を述べ、いかにももっともらしい医学的な意見を表明しました。サットサンガの趣旨からは、到底離れたことです。

非難や批判は心理学的にいうと、自分の痛みや不快を解放する手段であるとも指摘されています。まさに自分の恐れや痛みを解放するためにそのような発言をしてしまったことを思い出すと恥ずかしさでいっぱいになりました。

非難や批判は心理学的にいうと、自分の痛みや不快を解放する手段
非難や批判は心理学的にいうと、自分の痛みや不快を解放する手段

痛みを見ずに批判をするのではなく、勇気をもって存在を示し、生身の自分をさらすこと。それがヴァルネラビリティなのです。

弱さがあるから、強くなれる

重松先生は「そのままの自分を教室に持ち込む」と話されました。

生身の自分をさらすことを恐れません。逆説的ですが、「君たちは弱くなれるぐらい強くならなくてはいけない」というメッセージでもあるのです。本当に強い人間であれば、なにもその強さを誇示せず鎧を脱いで、他の人と関係性を築くことだってできるのですから————。

振り返ると、師と呼べる魅力的な方々はこのヴァルネラビリティを受け止めることを体現されている方ばかりだと感じます。何も強い言葉は使わない。鎧を脱いで生身の人間で自分と接してくれる一方で、そこはかとない強さを感じるのです。

あえて身をさらす勇気は、人を変えます。そして、その度に自分を強くします。

鎧や重い仮面を身に着けている方が楽かもしれません。しかしそれでは本当の意味で自分らしく生きることはできません。ヴァルネラビリティを受け入れることは、真の自分らしい人生を生きることなのですから。

参考資料

  1. スティーヴン・マーフィ重松『スタンフォード大学マインドフルネス教室』講談社、2016年
  2. ブレネー・ブラウン『本当の勇気は「弱さ」を認めること』サンマーク出版、2013年
  3. ブレネー・ブラウン TED『傷つくこころの力』