ヨガの伝統で重要視されてきたグル・シーシャ(師弟関係)

ヨガの伝統で重要視されてきたグル・シーシャ(師弟関係)

伝統的にヨガは師から生徒への口伝えで伝わってきました。インドではヨガに限らず、学びを得るためにはグルジ(先生)の存在が不可欠だと考えられています。

師弟関係の大切さについてインドでどのように考えられているのかをご紹介します。

とても深いインドのグルジへの尊敬

先日、「あるヨギの自叙伝 」で有名な パラマハンサ・ヨガナンダ氏の生誕125周年の記念コンサートに行ってきました。インドでは、グルに対してのお祝いがとても多いです。ヨガナンダ氏のように有名な先生ですと、亡くなってもずっとイベントが行われます。

リシケシのシヴァナンダヨガ・アシュラムにいた時、毎日のお祈りでシヴァナンダ先生やサッチャナンダ先生などの先生たちへ祈りを捧げていました。キルタンで、他の神々と同じように祈ります。お堂に入る時には、必ず先生の写真の足元に触って挨拶をしました。

まるで先生が神様のように讃えるインドの人たち

グルジに感謝するための祭日もあり、グルプルニマと呼ばれる7月上旬ころの満月の日には、グルジに感謝して、讃えます。生徒がグルジの家に集まって、神様に行うのと同じようなプージャ(礼拝)を行います。

グルとは?語源と、インド人にとっての存在意義

「グル」は先生という意味です。グルに呼びかける時には、敬称の「ジ」を付けて「グルジ」と呼びます。グルという言葉は、闇を表す「グ」と、光を表す「ル」を合わせて作られた言葉です。「闇から光に導いてくれる存在」という意味で「グル」という言葉になりました。

知識を与えてくれるだけでないグル

インドでの師弟関係は、知識を与えてくれるだけにはとどまりません。生き方そのものを教えてくれる存在です。

グルは疑いもなく弟子にとって父であり、母であり、神である。それ故にグルはすべての人に行為と心意と口とを以て奉仕をされるのである。(シヴァサンヒター3章13節)

伝統的なヨガは「グルクル」と呼ばれる先生と生徒が一緒に生活をして学ぶスタイルで行われていました。生徒は、グルと一緒に生活をすることで、クラスだけでは学べない様々なことを学びます。

現代インドのヨガでも住み込みで学ぶ学校が多く、伝統音楽や舞踊などの古典芸術でも、先生と一緒に生活をするグルクルのシステムが残っています。

ヨガの学びには正しいグルジが必要です

ヨガの実践部分を説いた経典であるハタヨガ・プラディーピカでは、1行目からグルについて書かれています。

ラージャヨガへ到達するための階段であるハタヨガの知恵を示してくれた、シヴァ神を讃える。(ハタヨガ・プラディーピカ1章1節)

ヨガの教えは人間が考えたものではありません。宇宙の真理である教えを、神から授けられたと考えられています。古代の聖者たちが、代々師から弟子へと受け継いで、現代に伝わっています。グルのグルは…と辿って行った時にたどり着くのはシヴァ神やイシュワラ(自在神)です。

ヨガの成功に必要な師の存在

ヨガの経典を見ると、グルの大切さについて書かれた文章がとても多いです。

俗世的な快楽を捨てることは難しい。サマディに到達することは難しい。正しいグルの手引きがなければ。(ハタヨガ・プラディーピカ4章9節)

ヨガの成功は心を完全にコントロールすること。それは本当に難しいことです。しかし、正しいグルに出会えることで成功への道が開かれると信じられています。

障害を取り除いてくれる

以前の記事で書いた通り、ヨガにはいくつもの障害があります。

ヨガと人生の“障害克服”に役立つヨガ・スートラの教え

ヨガにとっての障害は、心の問題が主な要因です。身体的な問題であっても、心が原因になると考えられています。ヨガの本には、心をコントロールするための知識が詰まっていますが、本を読むだけで理解することはとても困難です。

精神的な障害を自分で克服できるのならば理想的ですが、通常はそれができないのでヨガで克服したいと考えていると思います。迷いが生じた時に、正しい道を授けてくれる人がグルです。

独学の危険性

ハタヨガ・プラディーピカでは、アーサナの章の前でも、プラーナヤーマの章の前でも、グルの元で学ぶことを念押ししています。

そのような庵に住み、全ての不安を捨て、グルの教えに従って実践に取り組まなくてはならない。(ハタヨガ・プラディーピカ1章14節)

自己流での練習にはリスクがあります。例えばアーサナの練習で怪我をしてしまうのはなぜでしょうか?

原因1:心身の準備が出来ていないのに、難しいポーズに挑戦してしまう

速く成長したい、色々できるようになりたいと思うことによって、まだ心や体の準備ができていないのに難しいことに挑戦しようとしてしまう。それによって、かえって身体を痛めつけることになります。

原因2:間違ったアプローチをしてしまう

アライメントなどが間違っているのに自分では気が付けず練習を繰り返していると、身体の歪みを誘発し、怪我をしやすい身体になってしまいます。

また、アーサナは肉体的なアプローチですが、それに付随する呼吸や心へのアプローチにも間違いがあると、さらに危険性が増してしまいます。

グルの口から出た術智だけが有力である。それ以外の仕方による術智は効果が無く、無力であって、その上非常な苦情を伴う。(シヴァサンヒター3章11節)

正しいタイミングで、正しいアプローチを授けてくれるグルはヨガ修行ではとても大切な存在です。

良い先生に出会えなかったらどうするか

現代においても、「誰から学ぶべきか」はとても大きなテーマ
現代においても、「誰から学ぶべきか」はとても大きなテーマ

インターネットやヨガ雑誌が増えて、ヨガの先生を簡単に検索できる現代においても、「誰から学ぶべきか」はとても大きなテーマです。ヨガはとても道徳的な側面があり大きな声では言いにくいですが、自分にあった先生に出会えない悩みを聞くことが多くあります。

また、間違ったグルに師事してしまうことも危険です。インドで出会ったヨガのグルの中には、高額なお布施ばかりを要求する人もいましたし、外国人の多い地域では、タントラヨガを名乗って女性に性的な関係を迫るグルも少なくありません。

情報が全くない古代インドでも、正しい先生に出会うことはとても困難だとされていました。本来、必ずグルが必要だとされている古典ヨガですが、それが難しい実践者のためにはイシュワラの存在が説かれています。

イシュワラは時間による制約を受けない存在であるため、古代のグルにとってもグルであった。(ヨガ・スートラ1章26節)

ヨガと宗教の違い:ヨガ・スートラが唱えるイシュワラ(自在神)とは?

オームという一音のマントラは、イシュワラを表す言葉です。そのマントラを繰り返し唱えることで、ヨガの障害を取り除いてくれます。

良いグルに出会うこと、良い生徒になること

ところで、リシケシのアシュラムにいた時に、いくつかの言葉が壁に貼ってあったのですが、そのうちの1つがとても印象的でした。

良いグルに出会うことは難しいが、良い生徒に出会うことはもっと難しい。

この言葉が誰の言葉かは分からなかったのですが、すごく納得した気がします。

ヨガのグルにとっての使命は、自分が師から学んだことを次の世代に繋げることのできる生徒を育てることです。そのため、沢山の生徒のいるグルであっても、最も大切な部分は1人の生徒に集中して教えていたそうです。

ヴェーダンタ学派の先生が言っていました。

本当のヨガを伝えられるグルはインターネットでは見つけられない。正しいグルも、良い生徒を求めているのだから、自身のヨガを磨いていればグルは突然現れる。

その言葉を話して下さった先生自身も、長年ヨガに真剣に向き合って、指導を続けていた後で、人生を捧げたいと思うグルが突然現れたとおっしゃっていました。

良い先生に出会うためには、良い生徒になることが大切だと教わりました。

先生への感謝が自分を成長させてくれる

先生を神のように讃える…というのは、ちょっと想像がつきにくいかもしれませんね。

しかし、私たちがヨガを学ぶ時、その教えは全て古代のグルたちに繋がっていきます。目の前の先生も、先生の先生から学び、それをずっと辿っていくと、私たちが読んでいる古典ヨガ経典を書いたパタンジャリなどに繋がります。

長い間受け継がれてきた教えを頂いている。そう思うと、感謝が深まる気がします。

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