南舞さんのヨガ写真

臨床心理士から見た『サントーシャ(知足)』:八支則で心のデトックス

皆さんこんにちは。臨床心理士 兼 ヨガインストラクターの南 舞です。

早いもので2019年ももう2ヶ月が過ぎましたね。「これをやろう、あれをやろう。」と思っていることはたくさんあるのに、日々の忙しさに忙殺されてうまくいかなかったり、そのことによって落ち込んでしまったりすることってありませんか?

サントーシャ(知足)とは?

ヨガには「八支則」と呼ばれるヨガの哲学があります。ヨギー、ヨギーニの皆さんはすでにご存じの方も多いと思いますが、ヨガを深めるために、守るべきこと、行うべきことが8つの段階で書かれているものです。

これから何回かに分けて、臨床心理士として日々活動する中で感じたこととヨガ哲学の1つである八支則と絡めてお話ししていきたいと思います。

今回のテーマは八支則のうちの第二段階、ニヤマ(Niyama)の中の「Santosya(サントーシャ、知足)」について。

サントーシャとは、心が満足していて、何の不足も感じていないという心の状態を表す言葉です。

サントーシャはカウンセラーとしての在り方、ヨガインストラクターとしての在り方、そして人としての在り方を常に見つめさせられる言葉の一つです。

良いカウンセラーになるために必死だった日々

臨床心理士になるために大学院に通っていた時期、よく師匠に「良いカウンセリングをしようと思わず、ありのままの自分でいなさい。」といわれていました(今思うと、師匠はアナ雪を先取りしていたのかな。笑)

新米カウンセラーの時は、なかなかその言葉を受け入れられず、カウンセラーとしての経験不足から、とにかく自分に自信がなく、いつも不安で「いいカウンセリングをしなきゃ!」とか、「いいカウンセリングをするカウンセラーになるべき!」とずっと思っていました。

なんとか大学院を卒業し、いざ現場に入ったものの、自分と先輩たちとの技術の差、実力の差に愕然。先輩たちに追いつこうと必死になってみたこともあったけど、でも結局空回り。

良いカウンセラーになるどころか、クライエントが本当に話したいこと、聞いてほしいことがあったのに、自分の「こうすべき!」という感情の方が先行し、必死でそれをキャッチできず、クライエントを怒らせてしまったこともあります。
 
そんな経験もありつつ、ご縁がありヨガインストラクターになろうと思って、ティーチャートレーニングに通い、ヨガの八支則のサントーシャについて学んでいた時に、師匠に言われた言葉があります。

私たちは成るものにしか成れないのよ

その言葉を聞いたときに、なんだかすーっと自分の中の気持ちが楽になったのを今もはっきり覚えています。

それからは肩肘張らず、自分ができることは、今目の前にいるクライエントの話に耳を傾けることだと思えるようになり、クライエントへの向き合い方が変わりました。結果的にクライエントに喜んでもらえる機会が増えたように思います。
 
それはヨガインストラクターとしても同じ。

どうしてもレッスンに来るお客さんの数を気にしてしまったり、他の先生方と自分を比べて落ち込むこともしばしば。でもそういう時はこう自分に言い聞かせています。

今自分にできること、自分が持っていることを精一杯伝えよう。それだけでOK。

カウンセリングの場面から思うこと

クライエントの中にも「もっとこうだったらいいのに。」「○○さんはこうなのに自分はダメだな。」と思い悩んだり、自分の力量よりも大きいことを求めてみたり、他人と比較して理想と現実のギャップに苦しんだりする方も多いです。

しかし、人それぞれキャパシティやできることが違うので、比べること自体に無理がありますよね。

他人と比べること、他者からどう思われるかということが優先されがちな昨今。なかなか自分がどう思うか、自分がどうしたいかという気持ちを大事にするのが難しい時もあると思います。

そんな時、サントーシャの教えを思い出し、ヨガをして自分の身体やココロに意識を向ける時間を作るように心がけてみてはいかがでしょうか?

もっと多くの方がヨガの八支則を知り、自分の考え方や生き方、行動に目を向けてみると、少し気持ちが楽になるかもしれませんね。

※編集部より:一般的には「クライアント」という単語が使われますが、臨床心理士や社会福祉関連では、サービスや援助を受ける相談者を「クライエント」と呼ぶ傾向があります。