仏教の教え「空」とは?|何のためにあるの?どう活かせるの?

仏教の教え「空」とは?何のためにあるの?どう活かせるの?

全てのものは「空」であるという仏教の基本概念

学生の頃、TVは光の点滅であり、赤、緑、青の3色の光の組み合わせにより様々な色を作り出し、映像を生み出していると習いました。家に帰ってTVの前に立ちその画面をじーっと見ていると、たしかに光の点滅によって画面ができていることがわかりました。が、それと同時に、母に「目が悪くなる」と叱られました。

今この記事を読んでくださっているPC・スマホの画面も、全ては点滅によってできており、それは実体のないものです。対する手に取ることのできる書籍はその紙に印字されたものなので実体があります。同じ「文字」だけをとっても違いがあります。

もしTV画面が印刷でできていたなら、あんな風に画面は切り替わらずに紙芝居のように、ページを変える必要がありますよね。(ですが本当は書籍でさえ空であると言われています)

この実体のないもの、幻が「空」であり、これは全てのものに対して言える、と仏教では考えられています。

あなた自身も、全てのものが空である

水は温度によって姿を変える
水は温度によって姿を変える

例えば水を考えてみてください。何もないように見えても、部屋が冷えると水蒸気という液体の形になり目に見えるようになります。それが更に冷えると氷という個体になります。ですが温度が上がり、100度を超えると再び気体へと変化します。ではどれが本当の姿なのか?

水、氷、蒸気の中に「正解」は無いですよね?つまり、本質はなく無常であり「これと断定できるものはない」と言えます。

同様に、世の中にある全てのものが「断定できるものはない」、空だと考えられます。例えば、今30歳の方なら20年前のあなたと今のあなたでは身長も見た目も変化していますが、それでも「あなた」です。最近の量子力学では、上記で説明した点滅する光のように、私達自身も点滅しながら存在しているとする説もあり、私たち自身も「空」なのです。

「空」の教えが必要なのは、執着を手放し分かち合うため

空は「あらゆるものには実体がないこと」というのは理解いただけたでしょうか? ではなぜその考え方が必要なのか?

実体がない、それはつまり差別するものが無い、ということです。全てが空であり差がないからこそ、何か特定のものに執着をしても意味がないといった考え方をします。この考え方を「空・無相・無願」と言います。

執着が無くなり「これは自分のものである」という概念に縛られなくなることで、他人に与えること、分かち合うことができるようになり、さらなる「空・無相・無願」へと進み、より生きるのがラクになり、悟りに入ると言われています。

空の教えは「初心忘るべからず」

また、山本俊朗先生による5エレメンツヨガでは「空」を伝える時に

0、すべての始まりであるから、空の要素の教えは”初心忘るべからず”だと考えてください

と説明されています。

ヨガを学ぶ時にも、今まで自分が学んできた教えを「絶対である」と信じ込んでいると、新しい学びを採り入れるのは大変ですよね?もしかすると古い考えが邪魔をして新しい学びが入ってこないかもしれません。

だからこそ、最初に「空」を学び、まずは「学ぶ姿勢を整える」ところから始めることが必要です。