山本邦子インタビューvol.3

劇団四季の専属トレーナーへ。そしてA-yogaの誕生 山本邦子インタビューvol.3

20歳で単身アメリカへ、そしてアメリカの大学スポーツ界でトレーナーとして活躍していた、山本邦子先生。1話目、2話目では、邦子先生のアメリカでの活躍をご紹介してきました。

今回はいよいよ邦子先生のヨガとの出逢い、トレーナーとしての活動にヨガを取り入れるようになった理由、そして、日本に帰り劇団四季の専属トレーナーとなった経緯をお話頂きました!

1話目はこちら

動作学をヨガ業界へ。トッププロを陰で支え続ける:山本邦子インタビューvol.1

2話目はこちら

アメリカの大学スポーツ界の最前線で活躍!山本邦子インタビューvol.2

流行りのホットヨガがヨガ初体験!ヨガとの出会い

サッカーのアシスタントコーチの頃。ルームメイトと。
サッカーのヘッドトレーナーだった頃、ルームメイトのサッカーアシスタントコーチと。

邦子先生が、ヨガと出逢ったのは、1997年。大学を卒業し、大学院への進学を決めた頃だったそう。当時、もう少し、アメリカにいる決心をし、アメリカで自宅を購入、仲の良かったカナダ人のコーチと一緒に住み始めた頃だったといいます。

山本邦子先生
山本邦子先生
丁度その頃、大学を卒業して、NBA(National Basketball Association)に行ってる卒業生が夏休みで帰ってきてたんですよね。そのときに彼らが、「ヨガがいまNBAで流行っている」って言ってて。

「邦子はアジア人だから、ヨガできるだろう」って言われて。(笑)

いやいや、私、Japanese。それIndianだから、って話なんだけど(笑)

「でも、『ヨガ流行ってるって言うし、行く?』って言われたから、ルームメイトも誘って、その子たちとホットヨガ、いわゆるビクラムヨガに行ったのが最初ですね。」と話してくれました。

その当時、自分も定期的に体を動かして選手と一緒にトレーニングもしていたし、サッカーのアシスタントは毎日2時間とか走ってウエイトもしていたといいます。(しかも夏のカンザスの外気温は36度くらいになる中!)

なのに、ヨガに行った翌日は、すごい筋肉痛になったそう。しかし、その時に、

山本邦子先生
山本邦子先生
あ、これはアスリートの健康管理に、例えば遠征中に道具が無いところでの体のケア、運動療法として使えるなと思って。

強度も変えられるし、怪我をしている選手には、リハビリ的要素としてもうまく使えばいけるなって思いました。

ここから「ヨガとは一体何なのか」を勉強し始めたと話してくれました。その時は、運動療法としてヨガを捉えていたという邦子先生。どのように、ヨガを勉強していったのでしょう?

基本独学。選手のウォームアップやクールダウンにヨガを取り入れる

邦子先生のヨガ指導風景
現在の邦子先生のヨガの指導風景

どうやって、勉強したんですか?という私の問いに、「基本は独学ですね」と答えてくれた邦子先生。

山本邦子先生
山本邦子先生
ビクラムヨガにはそのあと4~5回行ったけど、そこでやったことを、じゃあ自分が選手たちにどう活かせるかって考えて。要素をウォームアップとかクールダウンでどうやって使えるかとか、自分で試し始めて、あとは書籍とかでいろいろ勉強しましたね。

とのこと。97年といえば、当時日本では、オウム真理教の影響もあり、業界規模が縮小されていた時代。アメリカでヨガに出逢い、その効果をスポーツ選手にいち早く試そうとした邦子先生の行動の速さには驚きです。

1通の手紙が始まり。劇団四季:浅利社長との出会い

手紙を書く人
1通の手紙が劇団四季と邦子先生を結びつけることに

第2弾のインタビューで、青空の下、「もうアメリカ終わり!」と決めた邦子先生。その時点では日本での仕事は特に決まっておらず、

山本邦子先生
山本邦子先生
元々、新体操をしていたこともあったし、大学には劇場もあって、そこにバレエ団やダンスカンパニーが来た時に腰が痛い、足首を怪我したっていうときの緊急対応を何度かやったこともあって。舞台芸術の人にもトレーナーが絶対に必要だよなぁと思って。舞台芸術で一番大きいとこどこだろうと思って、調べたの。

と話します。そこで邦子先生が「小学校のときに魔法使いのマジョリンを学芸会でやったんですよ、その時に劇団四季っていう名前があったな~」と思い出したのが、日本を代表する劇団「劇団四季」。

山本邦子先生
山本邦子先生
アメリカにいたときの日本人の知り合いに劇団四季に入った子がいたなぁって思って、知り合いを通じて繋がったの。

それで、「劇団四季って今、トレーナーさんとかいるの?」って聞いたら、ちゃんとした人がいないって知って。

これは、面白そうだから話してみたいなって思って、「どの人に連絡したらいい?」ってその子に聞いたら、当時の制作部の方の名前を教えてもらって、浅利さん(劇団四季の創始者)とその人宛に、直接手紙を送ったんですよね。

大手の劇団に直接手紙を送り、この手紙をきっかけに、実際に邦子先生は、浅利社長に会うことになったのです。

劇団四季の専属トレーナーに

「劇団にトレーナーの方がいるとお聞きしておりますが、その方のお話をお聞きしたいのですが、可能でしょうか?」と書いて送った手紙が届いたであろう翌日。

「代表の浅利がお会いしたいと言っておりますので、お時間をいただけますでしょうか?」と劇団から電話が入ります。

丁度その頃、東京の浜松町の劇場が出来たばかり。その劇場で浅利社長に会うことになります。

山本邦子先生
山本邦子先生
「君は何する人だ」と浅利さんに聞かれたから、「私はアメリカでアスレティックトレーナーとして働いていて、劇団員・パフォーマーの方たちも体を使われると思うんで、怪我の予防、怪我後のリハビリ、ケアのお手伝いができればいいなと思い、劇団四季にトレーナーさんがいるとお聞きしたので、その方にお話が聞きたいなと思いまして…」って答えたんですよ。

そしたら、「いくら欲しいんだ」って言われて。(笑)

「会って10分だよ?(笑)」と邦子先生。

行った時点では、まだそこで働きたいかどうかは決めてなかったそうですが、「会って10分で訳分からない私にいくら欲しいんだと言う面白いおじさんに賭けてみようと思って。」とそこで劇団四季に入ることを決めたのだそう。

この劇団四季で、邦子さんが今まさに伝え続けているヨガをベースとした動作教育メソッド「A-Yoga」の名前が名付けられるのです。

リハビリとヨガの要素を組み合わせたA-yogaの誕生

KyoMBMLabo
邦子先生のスタジオ。Kyoto MBM Labo。京都叡山電鉄修学院駅にある。

本格的に日本に帰国し、劇団四季で劇団員の方たちに自分で考えたリハビリとヨガの要素を取り入れたものを教え始めたそう。

山本邦子先生
山本邦子先生
丁度その頃、ユーコ・スミダ・ジャクソンさんが劇団でヨガを教えていたんですよ。アウェークニングだったかな?(アウェークニング=ユーコ・スミダ・ジャクソンさん自ら考案したダンスとヨガと格闘技運動の要素をミックスさせたというトレーニング法)

劇団四季では、稽古メニューが書いてあるホワイトボードの前を皆、バタバタ走っていくことが多いんですよ。だからヨガが2つもあるとわかりにくいから、一目で私のヨガのクラスだってことがわかるようにするために、名前をつけたんですよね。

そこで、邦子先生は今、自分がやっているヨガは一体何を大切にしているのか。それ英単語で書き出し、Aが頭文字になるものが多いことに気が付きました。

Awakening=覚醒
Awareness=気づき
Athletic=運動
Anti-aging=抗加齢

Aを頭文字にしてヨガをしているので「A-Yoga」と名付けられました。様々なスポーツ選手のケアやサポートに取り入れられてきたヨガに初めて名前が付いた瞬間です。

現在は、京都にスタジオを持ち、このA-yogaを中心に指導を続けられている、邦子先生。このA-yogaのベースは、ヨガジェネレーションでも開催して頂いている動作学です。(Kyoto MBM Laboはこちら。

次回は、邦子先生が、劇団四季を離れ、その後、プロゴルファーの宮里藍選手のトレーナーとなった経緯、そしてこの動作学についてもお話をしていただきます。

4作目になる次回もお楽しみに!

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