アイ/東京(パブリックジャーナリスト)
ちゃんと数えてみると、ヨガを始めて7年が経っていた。
ヨガを始める前と今、ずいぶん変わった私がいる。
自分を変えてくれたヨガとの出会いから今までを、ここで振り返ります。
「痛い痛い」と体が言いだした7年前。
17年間続けてきたダンスで、ついに体にガタがきた感じだった。
とにかくこの重たくて痛い体を何とかしたくて、真向法や自己整体っぽいことを試していくうち、
雑誌のヨガ特集を見かけ、自分であれこれ試してるものがヨガのポーズに近いことに気づく。
ストレッチのホールド時間を、秒数でカウントするよりも、呼吸でカウントした方が精神的に楽なことにも気づかされる。
呼吸を意識しながら、体と向き合い、体を使うことで、
少しずつではあるけれど動きやすくなっていくのを感じた。
同時に、それまで「痛い痛い」と、否定してばかりだった感覚を、
少しだけ辛抱強く見守ることができるようになっていた。
その後、ヨガスタジオに通うように。
体への執着が人一倍強かったその頃の私は、ポーズを誰よりも美しくとることに捉われている愚かなレッスン生でした(笑)
そんなレッスン生であるにも関わらず、ヨガをやりながら訳も分からず涙を流している自分がいて、
その後のすっきりした心の状態に驚いてしまうことが何度もあった。
そんな経験が、ヨガが持つ「心へ働きかける力」を実感せずにはいられなかったし、
そのカラクリにとても惹かれていった。
それから4年、5年、6年・・・とヨガを続けていくうち、体から心へと、自然とフォーカスするものも変わっていった。
アーサナの中で、瞑想の中で、自分の奥の方に閉じ込めていた「憎しみ」や「悲しみ」や「嫉妬心」や「執着心」・・・
決して美しいとは言えない感情が、どんどん意識の明るみに引っぱり出され、涙とともに体の外へと流れ出されていった。
そんな感情のほとんど全てが流れ出た時、更に奥の奥深いところにいる、ある存在に気がついた。
私 ―――?
・・本当の私
・・・もともとの私・・・私の本質・・・
――自分、自己、自我、真我、、、、
(呼び方なんてどうでもいい。)
今まで、見えていなかった。
いろんなしがらみに捉われて隠れてしまってた。
でも常にここにあったんだ。
その存在に気づいた時、私はやっと「私」になれた気がした。
私が「私」として、この世界で生きていく覚悟が芽生えた。
それと同時に、誰もがその存在を持ち合わせていて、そのことがとても尊いことだと思えた。
きっとヒトだけでなく、犬や鳥や虫・・・植物にも存在するものだと。
例えば、植物の成分をギュッと濃縮させたエッセンシャルオイルが、
人の心や体に影響を及ぼすのは、お互いの本質的な部分で呼応し合っているからなんじゃないかな。
私たち生物は、今この瞬間も、見えないところでお互いに影響を与え合いながら、
絶妙なバランスの中で時を刻んでる。
そんな、それまで気にも留めていなかったことを、なんとなく感覚として理解するようになっていった。
ヨガの語源である「yuj(ユジュ)」=「繋ぐ」。
〔 ヨガは心と体を繋ぐもの 〕と言われる。
その通りだと思う。
そして、〔 私と私 〕を繋ぐものであり、〔 私と全て 〕を繋ぐもの。
でもあると思う。
・・・ううん、本当は最初から繋がっている。
ただ、当たり前すぎて私は忘れてしまってた。
ヨガは、それを思い出させてくれただけ。
私自身と、全てとの繋がりを。
そして、その繋がりの中で生きていくことの心地良さを実感させてくれた。
それは、私が繋がりの中で生きていくことを決心するのに、充分な心地良さだった。
その後、ティーチャートレーニングを受け、ヨガ指導のスキルを身につけた私は、
今、少しずつではあるけれど、自分のヨガクラスを開けるようになった。
ひとりひとりに 『私』 が存在するのなら、ひとりひとりの 『ヨガ』 が存在するはず。
それを見つけるお手伝いができていると実感できた時、何よりも嬉しい。
そして、ヨガを通してもっと人の役に立ちたいと思う自分がいる。
まだヨガを知らない人や、ヨガに偏見を持っている人や、ヨガを必要としているけれどヨガに辿りつけていない人・・・・
そんな人達とヨガを繋ぐために、何ができるだろうか。
これからのヨガ人生、ヨガと社会を繋げられるような活動をしていきたい。






















