禅語に見るヨガの心 VOL.2「平常心是道」

禅語に見るヨガの心:VOL.2「平常心是道」(びょうじょうしんこれどう)

「平常心是道」(びょうじょうしんこれどう)

平常心こそが、悟りの道である」ざっくり説明すれば、そんな意味の言葉です。ここで言う平常心とは、普段私たちがよく使うような「心が落ち着いた状態」とは、少し意味合いが違っています。

「平常心」=「普段の心」

少し意訳すれば、「毎日の心がけ」と言ってもいいかもしれません。「毎日の心がけが、道へとつながっていく」という、ヨガの鍛錬にも通じるものがあるのではないでしょうか。

禅にまつわるこんなお話

大空のような自由な心
大空のような自由な心

宋代の趙州和尚という人が、師の南泉禅師に「(悟りの)道とは何ですか」と尋ねました。南泉はそれに対して「平常心是道」、普段の心が悟りへの道であると答えました。

さらに趙州が「それをめざして修行すればよろしいでしょうか」と問うと、南泉は「めざそうとすると、はずれてしまう」と答えます。趙州が「道をめざして修行しないと、これが道だとわからないのではありませんか」と問うと、「道とは知る、知らないというものではない。知るというのは煩悩妄想、知らないのは何もないことだ。もし真の道に達すれば、大空のようになにもなくなる。是も非もない」と南泉は答えました。

趙州はこの言葉を聞いて、悟りを開いたということです。

問答からわかること

「平常心是道」から始まって、悟りの道についての問答で読み取れるのは、

道をめざそうとはせず、無心であること。
普段の心が道につながる。

ということ。けれど普段の心が怠惰であったら、道は遠のくような気がします。普段の心とのつきあい方が、大切なのかもしれません。

ヨガと禅

この記事を読んでいる方の多くはヨガをされていると思いますが、だいたいどのくらいの頻度で行っているのでしょう。

  • 年に数回、ヨガのイベント?
  • 週に一度のヨガレッスン?
  • それとも毎日家で?

例えば毎日家でヨガをする習慣があって、定期的にヨガレッスンにも通っていて、時にはヨガイベントにも参加して・・・。そんな日々を何年も続けていたら、意識してめざそうとはしなくても、自然とヨガの理解は深まっていくことでしょう。知らず知らずのうちにヨガの仲間が増えるかもしれないし、気がつけばヨガインストラクターになっていた、ということもあるかもしれません。

何か目標を立てて計画的に行うのもいいけれど、自然と導かれるように開かれていくものは、無理やストレスが少なく長続きするでしょう。そうなるのは、まさに普段からの心がけひとつだという気がしませんか?