ブランドのこだわりはヨガ一筋 in India
ヨガジェネレーションをご覧の皆様、ナマステ。
リシケシュからレポートしております、Junaと申します。
今回のテーマは、ヨガウェアです。
今回も引き続き、ヨガの聖地とその関係を、目で耳でキャッチしたありのままにレポートしてまいりたいと思います。
羨ましいことに、生まれも育ちもヨガの聖地であるリシケシュで、幼い頃からアシュラムに入り、ヨガとともに成人し、また、誰に教わるでもなく、自ら瞑想を始め精神的な生き方をしている人は、ここには少なくありません。
そんな彼らに、レポートの質問を投げかける前に、ふとヨガの練習時の姿を思い出してみました。
「ダメだ・・・、レポートにならない」
私の頭の中では、すでに質問の前から結果は出てしまいました。
それでも、訊くだけきいてみようと思い、「ヨガウェアは、どういうのが流行っているの?」または、「どういう着こなしが流行っているの?」とも訊きました。
すると、「体を締め付けない、ゆったりした衣類だけど」という、とてもシンプルな答えが返ってきました。
それ以上そのことに関して、話すことはなさそうな気配を感じた私は、
レポートのことを伝え、その情報がほしいのだと言いました。
「あぁ、そうだね。西洋とかアメリカ、日本とかならヨガウェアのブランドがあるかもしれないけど、ここにはないよ。」
やっぱり・・・。レポートにはならないだろうとは思いながらも、とりあえず訊いたがやっぱりそうか、と少々落胆気味の私に気づいたのか、こんな話しをしてくれました。
「ヨガはファッションではないから、今日はどの服を着て練習しようか?と、そういう考えはない。その代わり、他のことにはだわりはあるよ。それは、ヨガの練習の服は、純潔、潔白、純粋という意味のある白の上下を身につけること。」
そう、インド人彼らの練習時の服装は、体操選手のように真っ白のシャツとパンツです。
それが、少々破けていようが全く気にしません。
彼らの練習時には、すべての集中が祈りやアサナ、瞑想その他の行に注がれるため、それには心が動く隙などないのです。
そして、「ウェアよりも大事なのは、場を整えること。お香で場を清め、練習の前には神様に祈りを捧げること」
これもその通りです。
練習のウェアは、いつも同じ白の上下なため、ウェア選びに気を注ぐこともありません。
その代わりに、どこにエネルギーを向けているかというと、練習前の集中や、神様への祈りなのです。
皆、それぞれに独自の集中の仕方をもっていて、ある人は、ヨガマットに両手をおいたまま目を閉じてお祈りをしたり、人差し指でマットの先端に円を描き、その指を間眉にあてるという動作を3回繰り返す人もいました。または、ひれ伏すように祈りのポーズをし続けたり。
体を動かすアサナであっても、リシケシュでヨガをするインド人彼らにとっての価値観は、神聖な行いの一つなのです。
ヨガをしている人の日常着は、白いコットンのクルタ(長めのシャツ)とルンギ(巻きスカートの様なもの)を着用しています。インドの男性民族衣装です。
民族衣装なので、ヨガをしていない人でも着用しますが、リシケシュでは、精神的な修行やヨガをしている人に多くみられる服装です。
「もちろん、いつもヨガでいるために、白いクルタにルンギを身につける人も沢山いるよ。アシュラムでは、皆その服装だしね。でも、ヨガは服装で成長していけるわけではないから。それを着たことで、ヨガをしている、と満足することはないんだ」と、服装でヨギであることをアピールしている人もいる、ということを私に伝えているような言葉でした。
さて、少し話は変わり、リシケシュには日本人を含めた外国人のヨガを練習する人が多く訪れます。
そして、到着とともに、メイドイン・リシケシュのウェアに切り替わります。
リシケシュで売られている洋服は、ヨガウェアとして最適なラフな造りが主流です。
普段着にも、ヨガの練習どちらにも活躍できるので、大変便利です。
その上、とてもリーズナブルですから、ヨガウェアとして着る服を、リシケシュで大人買い!ということも十分に可能です。
どこのショップも、おいてある物は殆ど同じです。
ですから、「あ、リシケシュで買ったウェアだな」と、すぐにわかります。
リシケシュには、ヨガウェアのブランドはありませんが、ヨガマットケースのオリジナルをオーダーメイドで作ることができます。
好きな色の生地とリボン、ロゴを選びます。
ロゴは、Omマークやガネーシャ、ロータスが人気です。そして、ヒンディー語で名前も入れてもらえます。
これは、日本人の方にもとても好評で、何タイプか作っていかれる様です。
最後に、ヨガウェアとは関係ありませんが、ブランドの傾向でその人のタイプがわかるように、ここである事を生き方に取り入れるようになった人を、よくみかけます。
それは、裸足で歩くことです。
西洋人の方に多く見られ、男性だけではなく、女性も裸足で歩いています。
リシケシュは、舗装された歩きやすい道とは決して言い難く、靴を履いていても、つま先立ちで歩きたくなるようなポイントさえ随所にある所です。
それを、ものともせずに凛として歩く姿は、何かに挑戦しているように見えるのです。
それは、ブランドへのこだわりが、生き方そのものになった姿と表現できるでしょうか・・・。






















