本に勝るものは口伝の教え~前編~ in India
ヨガジェネレーションをご覧の皆様、ナマステ。Junaと申します。
私は今この記事を、インドのリシケシュで書いています。
今年2月の誕生日にここへ導かれ、今に至ります。
私はここで、ヨガを行じることで自分の想いを形に変えていく、という生き方をしています。
この目線から見た世界を皆様にシェアさせて頂けることは、最高の喜びです。
今回の記事を通して、皆様の何か気づきにつながり、またこの地を訪れてみたいというお気持ちにつながりましたら幸いです。
リシケシュの本屋さんは、頭の中で数えられるだけなので、店内の様子も頭の中で想像できます。
どの本屋さんも、ヨガに関する本はほとんど揃い、スピリチュアル関連の本を専門としています。
店内の棚に隙間なく並んでいる本は、すべてその系統なので、これらの類が大好きな方には、たまらない場所になることと思います。
本には、その書きとめられた意味のエネルギーがこめられているので、どの本屋さんにも共通したムードが漂い、落ち着ける場所です。
さて、店内の様子を頭の中で想像しても、どの棚にも「ヨガの雑誌」というものが見当たりません。
ヨガを学ぶ本は、様々にあるのですが、雑誌というものがこのリシケシュに存在したかどうか、改めて疑問に思いました。
異国から来た私が、ひとり考えていても明らかになるはずがありません。
私は、ヨガの雑誌の存在と、ヨガを学ぶ人に人気のある一冊をテーマに、リシケシュの中を歩き始めました。
それが機となり、様々なメッセージを受けとることになるとは予想もせずに。
「・・・・・・」
この間を何度体験したことでしょう。
このリシケシュに、又はインドにヨガの雑誌は存在するのか。
何かお勧めの本があれば、教えてほしいという質問を、ヨガを生き方に取り入れているインド人や、ヨガの先生方を対象にリサーチして歩きました。
すると、誰もがしばらく目を遠くにおいて、何か考えているかのように間をおくのです。
それとも、私の質問が的外れだったのか。
私は、訊けば訊くほどに、自分が彼らに愚問を投げかけているような気持ちになりました。
間が空く間、私は彼らの目を見てその回答を待ちました。
しばらく目が遠くに行った後、私の瞳の中に戻ってくると、共通して出た答えは、一言「ないよ」でした。
「リシケシュは、ヨガの聖地。ヨガのキャピタルだよ。その地に、どうして『ヨガの雑誌』というものが存在するの?すべてはここにあり、すべてはここから始まるのに。
僕らには、ヨガの雑誌も本も必要ないんだ。ここには、本よりも生きたグルがいるから。本当のヨガがあるから。
そして、伝統が続いているから。本から学ぶこともあるけれど、ヨガは実践と体験だよ。だから、本じゃないんだ。生きているヨガの智慧(グル、先生)から学ぶんだよ。」
この価値観を静かに語る目の前で、私はこのリシケシュに続く伝統の尊さを感じました。
そして、それを大切にして生きている人たち。
私は、彼らにとっては愚問かもしれないこの質問を通して、もっと彼らの価値観を訊きたくなりました。
「本が君に何をしてくれる?頭に入れる知識はくれるかもしれないね。
でもね、知識は君に本当の幸せはくれないよ。
だから、あの本がいいよという様には薦められないんだ。
君が本当に知りたいなら、僕は君に実践のすべを教えるよ。」
それでも、どの本が良いか教えてと懲りずに訊きだす私に、共通して多かった答えが、
「君たちには少しディープかもしれないけど、強いて言うなら、ギータ」
やはりインド人には、バガヴァット・ギータでした。
それは、ヨガを学ぶための本というよりも、生き方のバイブルのように感じました。
後編に続く‥






















