ヨガ哲学を身体で体験してみよう!シリーズ Vol.4「アステーヤ=盗まない」

ヨガ哲学を身体で体験してみよう!

ヨガの哲学を日々のライフスタイルに取り入れ、上手にカラダと付き合っていく。
そんな自分自身のカラダの捉え方についてしゅんすけ先生が丁寧に解説してくれるこの企画。
ヨガのカラダの使い方の「基礎」やその「極意」をヨガ哲学を通して気軽に学べます。
きっと、ステキな気づきがあなたにもあるはずです。


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ヨガ哲学を身体で体験してみよう!シリーズ Vol.4


日常生活の指針「ヤマ=?しない方がいいこと」5つの3つめです。

 

●アステーヤ=盗まない
肯定的にいうと「与える・奉仕する」
時間もお金も盗まない。それは自分自身のこころが動揺してしまうから
というのはサティアとおんなじです。

たとえば、「遅刻をする」ということについて。
誰かと待ち合わせをして、遅刻してしまう。
焦ります。
こころがゆさぶられ、もうダッシュをすれば身体もしんどくゆさぶられてきます。
よさそうなことはなにもなさそうです(いくつかあるのですが)
約束の時間通り始まらないということは
相手がこころのひろーい人でも、やはりその人の貴重な時間を盗んでいることになります。

で、遅刻はよくない!とは誰しもが思っていることで、誰しもがしないようにしているわけですが
できない人はいつまでたってもできないわけです。
なんで?

意識が「遅刻しないようにしよう!」ただそれだけだからです。
もう少し言うと、遅刻に対して直接的につよく意識しすぎているからです。
つよく意識するとそこに緊張が生まれ、物事がうまく進みません、実は。

反対に遅刻しない人の行動や心理をみてみると、
遅刻しないようにするにはどうしたらいいか?を考え行動しています。
「14;00に待ち合わせなら、よゆうをもって13;50には駅つけばいいから」
とよゆうをもったスケジュールを頭の中で組み立ててます。

直接的に14;00ではなく、13;50が頭の中にイメージされてます。
意識されているのは5分や10分前だったりします。
意識されているのはよゆうだったりします。
意識されているのは直接的に「遅刻しない」ということではないというわけです。
間接的なよゆうだったりします。
つまり自分が時間的に早めに動く
ということで時間を「与えている」わけです


たとえばをもうひとつ。
人前で話すのが苦手な人は多いと思います。
たいていの人は「うまく話さなきゃ!」とか「うまいこと話したい!」
ってつよく意識をもってしまいます。
ですが、うまく話そう話そうとするとすればするほど
緊張してしまって、実際ぐだぐだになってしまいます。
意識が「うまく話す」ということに囚われてしまって、具体的には何も考えてなかったりします。

逆に、うまく話している人は、うまく話そうとはあまりしていません、実は。
なにを考えているかというと
あの話をここにもってきてーとかこの話でウケたらいいなーという具体的なプランニングだったり
「楽しくしよー」とか「まあ経験経験」と気楽に挑んでいたりとか
「楽しんでもらえたらいいなー役立てたらいいなー」とか考えてます。
貴重な時間をとっていただいて、聞いてくれている人に対して「与えている」わけです。
意識が間接的だったり、意識がつよくないのです。
「自分自分」と自分ばかりになってなかったりします。

つよい意識を「欲、強欲」というと思います。
ほどよい意識を、「少欲・想い・願い」というと思います。

つまりアステーヤって「少欲に」だと思います。
直接的にずばっとではなく
間接的にやんわりと

ヨガではこんな風にいわれてたりします。
この盗まない行を徹底していると、宝が目の前に現れてくるそうです。
盗もうとしている人からは、逆に宝は遠ざかってしまうそうです。
不思議なものです。

宝というのは人それぞれ違うと思いますが
欲しているものが向こうから現われてきて
逆に盗んでばかりいると欲するものは遠ざかっていくそうです。

直接的に想いが強過ぎて強欲になると逃げ
間接的にほどよい想いがあると引きつけられる
なんか恋事情に似てたりしますけど、経験上ほとんどすべてのことにそう思います。

 

身体的に言うと
足の裏が安定しなくて足の裏を直接つけようつけようとしてしまうと
足の裏の筋肉が疲労してしまい、余計に不安定になったりします。
安定を得たいのなら、ひざや骨盤の位置、さらに肩甲骨の位置、頭の位置を動かします。
「足先」しかみれなくなっていて、全体のバランスがみえなくなっている状態です。
足先の不安定という症状に対して、ひざや骨盤や上半身の位置という原因があるということです。
肩がこってるからといって直接肩を揉んでも根本解決にはならず、あまり意味がないわけです。

つまりアステーヤって=少欲=直接的表現や直接その部分を動かさない
=間接的に影響を与えている部分や肘や膝を使う
ぼくの言葉で言うと、「狙わずに狙う」わけです。


足の裏の安定を得たときは「膝」を使う。
足裏と骨盤をむすぶ膝をいい位置に動かす

掌の安定を得たいときは「肘」を使う。
掌と肩甲骨をむすぶ肘をいい位置に動かす

間。
関節。
ひじやひざをつっかえ棒のように使ったり
ひじやひざをクッションのように使ったり
支えることもやんわりすることも選べる
そんな真ん中=中庸の状態へ。

足指や足首や骨盤から
手の指や手首や肩甲骨から
ふっと力みが抜けてしまえば

踏ん張って強張った想いも
ふわっと軽い想いに
変わっていくんじゃないかなと思います。

指先と言う末端から踏ん張りが消え
支えている末端から強張りが消えたとき

あまりにここちよくて
なにかを強く欲するということを
しなくなるのかもしれません。

溢れてくると人になにかを
与えたくなってくるのかもしれません。

間。
空間。
時間。
カラダにもこころにもぜひ与えてあげましょう。


まとめ。
ひじやひざをうまく使って
「アステーヤ=盗まない=与える=少欲」ということを
身体に刻み込んで、日常生活にも自然とできるようにしていきましょう。

(文・しゅんすけ )

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