
Yogaを練習するにあたり、最初に『Yama/ヤマ』という考え方が出てきます。
やってはいけないこと。
自分が外に対して通常行動するときに守りましょうということ。
その中の1つに暴力をふるってはいけないということがあります。
私がヨガを習っていた先生がよくおっしゃっていた言葉、
自分が住んでいる周りに暴力的なことがいっぱい起こるという人は、
そのエリアに住んでいる人がとても暴力的なのかもしれませんが、
自分の中に暴力的なことがあるという見方をすることもできます。
正しいかどうかは別として、
大切なのは、自分がそう言う見方をすることができるかどうか?なのです。
どこからどこまでが良くて悪いのかということをマニュアル化することはできません。
ある立場の人から言うと、これは良いけど、これはいけない。
違う立場の人から見ると、これは良いけど、これはダメ。
それを判断するのは一体誰なんだろう?
それは自分の中でしかないのです。
「これは暴力的なアクションなの?」と自分の中に質問して、
「そうだよ。そうじゃないよ。」という答えが中から出てきて、それをフォローしていく。
例えば食べ物。
お肉を食べてはいけない。
こんな風に思っている人いますか?
なぜ、避けているのか。
動物を殺すのは可哀そう。暴力。
こんな風に思っている人いますか?
でも、生きているのは動物だけではありません。
植物だって生きています。
例えばフルーツを食べるときに、一番非暴力的な食べ方って知っていますか?
木にリンゴがなっていました。
熟していくのを観察して、ある日それが熟しきって自然に落ちたリンゴをキャッチする。
食べて、消化されたものが後ろから出て土に戻る。
これが一番自然な食べ方。
もいじゃうと、頭をもぎ取ってしまうようでかわいそうでしょ。
ましてや、リンゴを包丁で切ってしまうなんて細胞と細胞を切断。もっと可愛そうですよね。
そんな風に考えていると、食べるものがなくなってしまいます。
何にも食べられなくなってしまいます。
お肉を食べないと生きていけない人もいます。
例えば、エスキモーの人が住んでいる地域には寒くて野菜なんて育ちません。
アザラシのお肉を食べ、アザラシの皮で寒さをしのぐ。
そうしないとどんどん体のエネルギーが奪われていきます。
その人たちに「動物を殺すことは暴力に当たります。お肉を食べることは暴力です。」なんて言えないですよね。
ある立場の人から言うと、これは良いけど、これはいけない。
違う立場の人から見ると、これは良いけど、これはダメ。
それを判断するのは自分の中でしかないのです...。
そんな先生のお話を聞きながらふと思いだいた歌があります。
小学生のときよく歌った、「手のひらは太陽に」という歌です。
一節にこんな歌詞があります。
みみずだって おけらだって あめんぼだって
みんな みんな 生きているんだ ともだちなんだ
トンボだって カエルだって ミツバチだって
みんな みんな 生きているんだ ともだちなんだ
虫、怖い、気持悪い、嫌いという人多いと思います。
結構無意識にバシッと叩いたり。追いかけまわしたりします。
これも暴力です。
どうすればいいのか。
観察をする。
あらゆる物を観察しながら自分の意識を覚醒する。
虫は気持ち悪い、怖い。決めつけてしまっている。
肉はダメ、野菜はいい。決めつけてしまっている。
決めつけている物の考え方があると、自分に心地よくないものが出てきたときに、すぐに暴力的な行為に出やすくなります。
まず、観察をする。
毎日ペット一緒にいると、言語が違うけど何か思っていることが通じ合っていること分りますか?
それとなく見ていると、何か楽しそうだな、悲しそうだな、お腹すいているんだな。と言うことが感じ取れて、お腹空いているの?って聞いたら「ワン!」と返事が返ってきたり。
こんな風に、言葉は違うけど、バイブレーションの変化を自分がキャッチするという練習をヨガを通じて行います。一体感を味わいます。
みんな生きているんだ ともだちなんだ。一緒なんだ。
こういう感覚を味わいます。
すぐに手が出そうになったり、自分にある決められたものの考え方を押しつけようするエゴの部分が出そうになった場合、それを一歩おいて観察する。
今度は2歩おいて観察する。
だんだんだんだん観察する時間を長くする。
暴力を振るわない。
何を総じて暴力かということを自分に問いかけてみると結構答えが出てくるものです。






















