サットヴァ的食生活奮闘記。
こんにちは、パブリックジャーナリストのkiimaです。
記事を書こうと思ったものの‥お題が思いつかないまま数ヶ月が過ぎ、
唐突に思いついたお題にそのまま飛びつきました。
その前に、サットヴァとはなんぞや?
サットヴァ。イコール「純質的」。純・質・的?
とりあえず...「ピュア」「まじりけない」イメージ。キレイになりそう!輝きそー!
適当に思いついたままのポジティヴな言葉だけを並べれば、そんな感じです。
ネガティヴなイメージと両方を実は抱いていますが、ここでは割愛します。
アーユルヴェーダの食事法でサットヴァに類されるものを食せば、その人はヨガをやるに相応しい体質に変わっていく。でも、そこに網羅されている食材を常に摂取しようと躍起になると、何だかその様がもはやサットヴァではなく、ラジャス(激質的)に変わっている気がします。
そして、食事をうまくコントロール出来ないことに気づいたとき、私の場合は漏れなくタマス(暗質的)に変わるという揺れ幅の大きい循環に陥りがちです。浮き沈みの激しい循環。ちょっとヨガから外れています。
食事法におけるサットヴァの追究、難しいです。
最近、ヒントを与えてくれたことがありました。
それは、友だちから手作りケーキをいただいた時のこと。甘いものが欲しくなることは時々あるものの、それがケーキにつながることはあまりなかったという背景からも少し考えましたが、結局は深く考えるのをやめ、いただきました。
理由は、一緒に食べたかったから!それだけです。
本当に美味しくいただきました。長いこと玉子を食べないままだった私にとって、それは驚きよりも幸せで、有難くて素敵なことでした。長いこと食べていないと拒絶反応も起こることがある、と聞いていたけれどそれもありませんでした。知らなかったお蔭で、頭で食べようとしなかったからかもしれません。
その時になり、思い出しました、様々な食餌法の実践者の方々が講義の締めに決まって仰る言葉。「でも結局、本当に感謝していただくことが一番良いのですよ」。
実は私、普段は孤食が多いです。偶然にそうなっているだけですが、人との繋がりがあるだけで食材からの作用は変わることを知り、感激しました。人と人の心が繋がった状態で食べるものはいかなる食材でもサットヴァに変わる可能性があるのかもしれません。
繋がり、それってヨガではないか、と。様々な食餌法実践者の方が締めに仰っていた、「感謝していただく」ということに近いのかもしれません。高次な解釈まで落とし込むのは私には難しいので、「かもしれない」で留めました。
自分自身の心身の特徴をよく知ること、その上で行い(この場合は食材などのチョイス)を決める。いい意味で「行き当たりばったり」でやってみる心意気。結構私には貴重な気づきでした。サットヴァの追究もこの心意気で実践していくと面白くなりそうです!何事も挑戦ですね。
続く(かもしれない)
-kiima-




















